なかむらやの歴史

なかむらやの歴史


IMGP0084.JPG なかむらやの初代阿部與右衛門は、明治のはじめ現在の福島市外土湯温泉からこの地飯坂に出て参りました。当時土湯村において旅籠を営んでおりましたが、たび重なる洪水に悩まされ、このまま土湯に留まっては家運が衰えると判断し、飯坂に進出することを考え、当時の花菱屋、(現在の花水館の前身)を買受け営業したのであります。その後旧館(江戸館)に新館(明治館)を増築し、100年が過ぎました。



IMGP0056.JPG 玄関には帳場格子、大福帳など、創業以来の備品がそのままおいてあり、いろりのまわりでお茶をくみかわし、目の前の名湯「鯖湖湯」に、旅の疲れを癒す憩いの宿として、芭蕉の跡を訪ねる人の宿として、また近世から近代への湯の宿の歴史をしのぶにふさわしい宿として、現代7代目に引き継がれております。



 江戸館(玄関側)は、江戸時代末期のもの。赤瓦、白壁土藏造り3館だての珍しい建物を見に近郷近住から、見物人がやって来たということが語りつがれています。2階の壁には花菱屋の紋所であった「花菱」となかむらやの紋所である「ちがいたかのは」が2つ仲良く並び「家」を大切にした昔が感じられます。  


IMGP0050.JPG また明治館の方は明治のはじめ増築。総けやきで100年の風雨にもゆるがない頑丈さを示しており、床の間、らん間などは、いまの建築物ではとても見ることのできないこった美しさを示しております。
 書院造りの床の間は香木黒壇の細工、らん間は杉のまさ、どのひとつにも当時の職人の腕が感じられます。